三菱製紙株式会社八戸工場

技術の力で社会に貢献する
青森県の誘致企業第一号として操業50周年

山田 清春さん

三菱製紙株式会社八戸工場
常務執行役員工場長/山田 清春さん

ニーズを捉えた商品で
情報文化の発展に寄与

 当社は1898年に創業し、付加価値の高い印刷用紙を開発・製造・販売する製紙会社として、情報文化の発展に寄与してきました。紙と言っても種類は多岐にわたっており、オフセット印刷などに対応する印刷用紙のみならず、感圧、感熱、磁気、電子写真、銀塩写真、インクジェットなど、多様な記録方式に対応するメディアの開発・製造を手掛けています。

 八戸工場は、1963年に青森県の誘致企業第一号に認定され、1967年にパルプから紙まで一貫生産する工場として操業を開始し、今年で操業50周年を迎えました。

 時代の遷り変わりに合わせて、世の中の紙に対するニーズも変化してきました。操業当時は、お菓子やアイスクリームの包装箱として使われる白板紙や、写真集等に使われるアート紙を製造していましたが、現在は主に、カタログやカレンダー、書籍に使われる印刷用紙や、コピー用紙、レジロールなどに使われる感熱紙、伝票などに使われる感圧紙、インクジェット用紙といった情報用紙を製造しています。

 次代のニーズを的確に捉えた付加価値の高い商品を開発するため、順次工場を拡張し、生産規模は操業開始時と比べて約10倍となりました。今では、最大の生産拠点であり、当社売上の約6割を占める基幹工場になるまで成長してきました。

 八戸を選んだ一番の理由として、原材料の輸入や製品の輸送に有利な港が近いことがありました。臨海型の一貫工場でコスト競争力が高いことが、当工場最大の強みであり、この立地環境があったからこそ、50年やってこられたのだと感じています。その他にも、紙を製造するために不可欠な豊富な水資源を、近くを流れる馬淵川から確保できたこと、質の高い人材を豊富に抱えていることなどが立地する要因となりました。

 近年は、印刷物のデジタル化が進み、紙に対する需要が減ってきています。当工場で製造している紙の種類も、かつては印刷用紙が約9割を占めていましたが、近年は印刷用紙の割合が減り、情報用紙が約3割を占めるまでに変化してきました。

 今後も製紙事業が当社の主力事業であることに変わりはありませんが、世の中の動きに合わせて少しずつ業態変化していかなくてはならないと考えています。その一環として、近年、製紙事業の他にバイオマスボイラーによる発電事業や、イチゴ栽培、造粒灰製造などの事業も手掛けています。これからも、世の中のニーズを的確に見極めて、これまで培ってきた技術の力で社会に貢献していきたいと考えています。

東日本大震災を乗り越える
従業員の団結力

 東日本大震災の津波により、工場1階に設置していたモーターや配電盤などの電気設備が浸水しました。被災当時は、いつ復旧できるかわからない状況で唖然としましたが、すぐに従業員が復旧作業に取り掛かってくれました。一台一台全て分解・洗浄するという根気の必要な作業が続きましたが、従業員の努力のおかげで、早い機械では約2か月で復旧することができました。

 最終的に、完全復旧には約8か月間の期間を要しましたが、国をはじめ青森県や八戸市といった行政による支援や、近隣企業等の支え、従業員の団結力によって苦難を乗り越えることができました。このような環境があるからこそ、長年続けてこられたと感じています。

粘り強い人材と
優れた立地環境

 従業員の多くは青森県や近県の出身者であり、非常に真面目で粘り強く優秀な人が多いと感じています。当工場が立地している八戸市には、工業大学や工業高校があるため、全国的に見ても良い人材を採用しやすい環境にあると思います。

 また、青森県の特徴として暮らしやすいことも挙げられます。夏は冷涼な気候が続き、冬も八戸市などの太平洋側の地域は雪がほとんど積もらないため、不便を感じません。三陸復興国立公園内にあり、国の名勝に指定されている種差海岸など、風光明媚な場所がたくさんあり、子育てもしやすい環境にあると思います。

 八戸市から首都圏までは、新幹線を利用すれば3時間ほどで移動できるため、本社での会議などの際も便利です。首都圏に比べれば土地も安く、当社のような広大な敷地を求める企業にとって、非常に魅力的な環境だと思います。

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会社名
三菱製紙株式会社八戸工場
県内所在地
〒039-1197
青森県八戸市大字河原木字青森谷地
操業開始
1967年1月
従業員数
859人(平成28年3月末現在)
事業内容
パルプ・紙製品の開発・製造・販売

掲載年月:H29.2